演奏家が自分の音楽から情緒的な要素を徹底的に削ぎ落としたとしても、録音された音楽の聴き手の脳はどこまでいっても過去に経験した、もしくは描いたイメージを記憶の奥底から持ち出してきて、音から受ける印象に重ね合わせることで不可解な音をイメージに結びつけて錯覚させるようにしてしまい、やがてはどんな音からも快感を得ることができるようになります。
個人的な例で言えば、冷蔵庫の発するコンプレッサーの音だけをひたすら録音した作品を聞いても、最初はなんじゃこの雑音は?! と思いつつ、いつの間にかその雑音が、Ζガンダムに出てくるパラスアテネのコックピット内に座っているという自分でも忘れていた子供の頃の妄想の中の持続音と結びつき、人によってはノイズにしか聞こえない冷蔵庫の音が、だんだんと夢見心地な音に聞こえてきます。
感情的要素を音楽からできるだけ取り除くことによって、逆に生まれてくる聴き手個人個人の情緒の広がりの可能性に賭けたような、そんな音楽が私は好きです。
1959年生まれのドイツ人アーティスト、Thomas Brinkmann(トーマス・ブリンクマン)氏によるこの作品は、そんな作品のひとつ。
これを聴いてどんな感覚が生まれるかはひとそれぞれ。
私の場合は、ヤサグレた晩にウィスキーを飲みながらこれを聴いていると、路地裏の赤い灯が形作る濃厚な黒い影の中で踏み潰されたゴキブリの死体を運ぶアリの隊列の速度と整然さのイメージが頭に浮かび、余計にヤサグレた気分になれました。
おすすめです。