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美しい小さめドレスウォッチ:ジャガー・ルクルト『マスター・ウルトラ・スリム 34』(Cal.849)レビュー

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すでに廃番となって久しい、ジャガー・ルクルト(Jaeger-LeCoultre)の手巻き腕時計『マスター・ウルトラ・スリム 34』(Master Ultra Thin 34)をこのほど、中古で手に入れました。

この時計は、日付表示もなければ秒針もなく、ついでにミニット・トラックもない(←実はこれ重要)、超薄型の二針ドレスウォッチ(時針と分針のみ)。

直径34mmというサイズは、昨今のトレンド(感覚)からすれば、かなり小さい部類に入りますが、さっぱりしたスーツなど着てこまして実際に腕に装着すると、小ささは全く気にならないどころか、非の打ち所がない意匠と美しい仕上げから立ち上る香気のようなものが、その発生源が小さいだけに余計濃厚に感じられます。

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要するに小さくてペラペラなのになぜか存在感がすごい、シンプルで控えめな見た目なのに振り返ってもう一度見てしまうような、絶対に写真では捉えることができないなんとも不思議な、瑞々しい美しさを湛える時計です。

マスター・ウルトラ・スリム 34のレビュー

というわけで、この麗しくも嫋やかなジャガー・ルクルトの傑作時計について、日本語で紹介された記事がほとんどないため、ここで紹介しておきます。

ジャガー・ルクルト(略称 JLC)というブランドや「マスターシリーズ」については、以前書いたこちらのクソ長い記事を御参照ください。

搭載ムーブメントと精度

機械式の置き時計から懐中時計、そして腕時計へと小さく進化してきた関係上、腕時計も以前は小さくて薄いほど良いものとされ、各時計メーカーが、ムーブメントの小ささと薄さを競って開発してきたという歴史があります。

「腕時計メーカーの中の腕時計メーカー」とも称されるスイスの名門メゾン、ジャガー・ルクルト(Jaeger-LeCoultre)は、そのような薄型ムーブメントの開発競争におけるトップ・ランナーであり続けています。過去には同社の薄型ムーブメントを、世界三大時計メーカー(Holy Trinity)のパテック・フィリップ、オーデマ・ピゲ、ヴァシュロン・コンスタンタンに供給していたこともあるそうです。*1

この時計に搭載されたムーブメントは、1975年に開発された超薄型ムーブメント「Cal.839」の後継「Cal.849」(1990年代~)で、その厚みはなんとわずか1.85 mmしかありません。2 mm以下になると一気にメンテナンス等も難しくなるそうです。

この薄さにより、同機を搭載したJLCの腕時計は、世界で最も薄い機械式腕時計のひとつとなっています。

このマスター・ウルトラ・スリム 34はケース裏側がサファイア・クリスタルになっていて、そのCal.849を思う存分鑑賞できます。

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1.85mmという薄さの中にぎゅうぎゅうに組み入れられた部品点数は123点、19石。振動数は21,600回/時。パワーリザーブは35時間です(毎朝巻き上げてから身につける感じ)。

しかし構造的にゴージャスなだけでなく、細部に拘った仕上げの美しさも特筆すべきです。

ぱっと見ではわかりませんが、時計用ルーペでよく見ると、部品の一点一点が綺麗に面取りされており、「MASTER CONTROL 1000H」と誇らしげに彫られた角穴車と、隣の丸穴車にも、サンレイ仕上げが施されています。

また、部品に彫金された謎(でもないけど)の記号が、古代文明の壁画模様などを連想させ、マヤ文明にインスパイアされたというフランク・ロイド・ライトの建築物のように、どこかミステリアスな雰囲気も楽しむことができます。

さらに、優美な曲線を描く軸列受けの下に垣間見える金色の歯車の並びは、正にクラシックな「時計じかけそのもの」という壮観さで、心ときめかされます。

総じてこのムーブメントの審美性は、世界最高峰ブランドのひとつ、パテック・フィリップの現行手巻きムーブメントに引けを取らないと思います(A.ランゲ&ゾーネの美しさには負けるけど)。

このムーブメントの組立・調整には、超薄型のため難易度が高いためか、JLCメゾンの中でも、グランド・コンプリケーション(超複雑時計)を担当する熟練時計師が関わっているそうです。*2

こういう豆知識は、ウン百万~ウン千万円もする超複雑時計は逆立ちしても買えない人間からしたら、ちょっと嬉しいポイントであるとともに、時計に興味のないひとからしたら、ただのシンプルで地味な時計であるという事実がなおのこと、裏面に変態性を常に隠し持つべき紳士(ジェントルマン)にとって、最適なドレス・ウォッチであると言えましょう。

精度については秒針がないため、計測器なしでは正確に測れませんが、購入時に店のひとに頼んだところ、平置きで+6秒でした(2018年末に調整)。

しかし、購入後3ヶ月くらいで、すでに日差+15秒くらいになっている気がしています。薄型ムーブメントは、振動に弱く、磁気帯びもしやすいらしいので、気を付けて扱わないといけません。

ムーブメントについては、兄貴分のCal.839を解体したマニアックな人の記事が興味深いです。「スイス勢の中でもJLCにしか作れない/今までに作られた中で最も優れた薄型時計」なんて絶賛されていました。*3

文字板とインデックス

購入前、インターネットでこの時計について調べ、いろんなオーナーの写真を見ました。海外の掲示板などでよく言われていたことのひとつが、「写真では良さが伝わらない」というようなコメントです。

この時計の実物を初めて目にしたとき、その意味が完全にわかった、というか、おおげさでなく、ハッと息を飲みました。

だいたい高級腕時計って、写真を見て「これは美しい/かっこいい!」と思って実物を見るとそうでもなかった、ということのほうが個人的には多いですが、この時計は完全に違いました。

写真で見るより圧倒的に美しい。これはそのシンプルさを極めたフェイスのデザインに依るのかもしれません。

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白銀色の文字盤は、非常に微細な、ほとんど見えないくらいのサンレイ仕上げに、3、6、9、12という神秘的な数字の植字と、5分単位の楔形アプライド・インデックス。

文字は、JLCの社名ロゴと、6時下の小さな「SWISS MADE」のみという潔い簡素さ。

以前、グランドセイコーが12時位置の「SEIKO」ロゴを、6時側にあった「Grand Seiko」で置き換え、6時側は空白になってしまったGSクオーツに対して「かっこ悪い」「間延びしている」なんて声が多く、私も同様に感じていたため(最近はそうでもない)、若干このマスター・ウルトラ・スリムにもそういった不安を感じていましたが、実物ではそういう間延び感はまったく感じませんでした。不思議なものです。

また、この時計を手にして改めて実感したことの一つは、時計がスポーティ、もしくはドレッシーな印象になるかどうかを左右するのは、メタルかレザーかという、ベルトの材質もさることながら、ミニット・トラック(分刻みの目盛り)の有無が非常に大きいということです。

JLC現行のマスター・ウルトラ・スリム (38.5mm/40mm)は、ミニット・トラックがあり、あれはあれでもちろんシャープで男らしくてかっこいいのですが、分刻みの目盛りが、否応無しに「科学的」「現実的」な印象を無意識に与えてしまう事に比べて、そうした目盛りがないこちらはその反対で、「魔術的」「空想的」な、どこか妖しい雰囲気が漂います。

分刻みの目盛りがないというだけで、その腕時計が、現実の道具という性質から少しだけ解き放たれている気がするからかもしれません。

時針と分針は、長手方向左右でポリッシュとブラッシュを使い分けたドーフィン型で、視認性に問題はありません。

サファイア・クリスタルの風防は、ごくわずかに膨らんだドーム形状になっています。

ケース

ステンレスのケースです。

直径は34mm、厚みは一番分厚いところでもわずか5.5mm。シャツの袖にシュカシュカ隠れてくれます。

磨き上げられたベゼルは、ドレッシーな雰囲気を纏うのにぴったりな、細すぎず、太すぎずの絶妙な面積でピカピカしています。

一見すると極めてノーマルな円形ですが、ラグの形がちょっと変わっています。時計を真横から見ると、ベルト側に細まっていくように見えて実際は、飛び出した葡萄の汁のようにちょぽんとした形状で、外側の方にふくらんでおり、クラシカルな佇まい。

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また、裏返すと、ムーブメントをホットサンドイッチのように挟み込んで、ぎゅっとネジでカシメたような独特な形状が見られます。

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この形状により、腕にベルトできちっと装着した際、中央の膨らんだ部分が腕にやや沈み込み(隠れ込み?)、横から見たときの時計の薄さが余計に際立つという格好です。

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そのため、実際の厚み5.5mmより薄く、わずか3mmくらいしかないような印象となります。正直、ぱっと見ぃはペラペラです。でも決して安っぽくはなく、実にエレガントです。

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操作性

竜頭を引っ張り上げ、回して時間調整。操作はそれだけ。巻上げるときの感触は、やや軽めでキリキリ言う感じ(スルスルのシャリシャリではない)。

ちなみに、竜頭巻きの時計を最初に発明したのは、JLCの創始者アントワーヌ・ルクルト氏と言われています(1847年)。*4

秒針も分刻みの目盛りもないことのデメリットとして、5分単位のタイミングでしか、正確に時間を合わせられないということがあります。秒針がないため(?)ハック機能(時計の進みを止めること)もなく、竜頭を引き上げた状態でも時間は進みます。

というわけで、こういう二針かつミニッツ・トラックもない機械式時計を使い始めると、そこまで正確性を求めなくなります。

ベルトと尾錠

中古で購入しましたが、新品のJLC純正アリゲーターベルト(ツヤ有り)が付属していました。たぶんカミーユ・フォルネによるOEMだと思います。

最初はカチカチで着けづらいですが、次第に馴染んできます。

黒光りする表面がいかにもドレスウォッチかくあるべしという風情で、ほかのベルトの選択肢はないという感じです。

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ラグ幅は17mm。

尾錠はポリッシュ仕上げのシンプルなもので、JLを象ったロゴマークがさりげなく刻印されています。

Dバックルではないので、着け外しのときに落としそうで心配ではありますが、穴留め式のシングルの方が時計をすぐに平らに置けるので実は好きです。

装着性

薄くて軽い(たぶん30gくらい)ため、よく言われる「着けているのを忘れるほど」という事態がマジで発生します。

「メガネをかけながらメガネを探す」というように、「アレ? 時計どこやったっけ? ああ、ここにあるわ」という焦る記憶喪失の0.5秒は、40歳を超えて、記憶力の落ち込みを実感する昨今、この薄い時計の場合、マジでたまにあります。

革ベルトなので、夏場(シンガポールは常夏ですが)にはあまり適しませんが、私は革ベルトは消耗品と考えていますので、あまり気にせず、夏でも付けます。

汗をかいたときは、できるだけこまめに拭き取るようにしています。

服装/シチュエーションの適応性

白に近いシルバーの文字盤の二針時計なので、(貴金属ではありませんが)ビジネススーツから、それ以上にフォーマルな服装を着るシチュエーションでも、全く問題ない、というか最適です。

また、シンプルなデザインのために、ややカジュアル寄りで黒い革のローファーなんぞ履くような服装(きれいめジーンズもOK)でも、エレガントに決まります。

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さすがにTシャツのときは合いません。Tシャツの場合、逆に複雑機構の付いたゴールドの時計とかならファッションにおける「ハズシ」としていけそうですが、この時計は、前に押し出すような刺激的な要素が皆無で、きれいめなファッションに静かに寄り沿うタイプの時計なので、Tシャツ一枚姿で装着すると、市民プールの滑り台の行列にモーニングを着た執事が紛れ込んでいるようなグロテスクかつミゼラブルな印象となり、まったく合いません。

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防水性

こういうドレスウォッチは、3気圧防水(日常生活用防水)が多い中で、この時計は超薄型にも関わらず、ちょっと安心できる5気圧防水(日常生活用強化防水)となっています。

ですが、時計の防水性というのは、パッキンの経年劣化により落ちますので、オーバーホールとは別に、こまめなチェックが推奨されています。中古ならなおさら。

 

耐久性

薄型機械式ムーブメントの定めとして、耐久性は低いと思います。こればっかりは落としたりぶつけたりしないように注意するしかないですね。

ただし、薄型でシャツの袖にすっと収まるため、分厚い時計よりはぶつけることは少ないかもしれません。

価格について

すでにディスコン(廃番)モデルで新品は手に入りません。中古市場の価格は、20万円~40万円くらいと幅があります。

ケースの裏がスケルトンでないモデルは比較的安めで、裏スケ、かつ状態の良いものは30万円代後半が多いでしょうか。

私は、新品ベルト付きでケースの状態がかなり良いものの、ペーパーのない個体を買いました。よって、正確な年式はわからないのですが、2000年代初頭のモデルだと思います。

ちなみに、現行のマスター・ウルトラ・スリム(スモールセコンド付)は、ステンレスモデルで、定価85万円くらいします(2019年8月現在)。

それを考えると、「プロパー(proper)」かつ「ナッシング・ロング(nothing wrong)」であり、語りどころも十二分にある、ほぼ完璧なドレスウォッチであるマスター・ウルトラ・スリム 34は、小さめで薄型のドレス・ウォッチをお探しの方には、最高の選択肢のひとつとなるのではないでしょうか。

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最後に

最近ようやくいろいろなメーカーが、従来より小さめのモデルを出してきた傾向はあるものの、34mmをメンズ/ユニセックスモデルとして出すメーカーはそれほど多くありません。というかほぼありません。

状態の良いマスター・ウルトラ・スリム 34の数は、今後ますます少なくなると思われます。人気なさそうながら意外とありそうでそれほどでもなさそうな感じですが。

ヴィンテージ・ウォッチではなく、まだまだ動作・メンテナンスに問題はなく、かつ比較的安い値段で買える、間違いのない1本として、また、貴金属の200万かそれ以上する時計を買うことにさすがに躊躇してしまう私のような人間には、これほど完璧なドレスウォッチは他に探してもほとんどないと思います。ていうかない。それほどすべてが完璧にまとまったデザイン。

というわけで、この時計と、ロレックスのオイスター・パーペチュアル 34黒の2本で、ほとんどのシチュエーションに対応できる、いわゆるところの「パーフェクト2ウォッチコレクション」が完成しました。

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