前回の記事でアイスランドの作曲家、ヨハン・ヨハンソンのおすすめオリジナル・アルバムを紹介しました。
今回は、ヨハン・ヨハンソン氏と並んで、ネオ(ポスト)・クラシカル音楽業界の二大巨頭とされるマックス・リヒター(Max Richter)氏のおすすめアルバムを紹介します。上述の記事にもあるように、同氏は映画『メッセージ(Arrival)』の冒頭に流れる印象的な曲の作曲者です。
ネオ・クラシカル音楽のオリジネイター
西ドイツ生まれ英国人で、王立音楽アカデミーで学び、イタリアでルチアーノ・ベリオにも師事したことがあるらしい、マックス・リヒターの音楽は、現代/ミニマル音楽の影響が非常に濃厚です(スティーブ・ライヒの"6台のピアノ"等を再現したPiano Circusの創設メンバーのひとりでもある)。
ただ、マックス・リヒターの音楽を独特なものとし、かつ、普段クラシック音楽を聴かない層(多分若いひと)からも広く人気を得ている理由は、エレクトロニカ/ポストロック等のポピュラ ーミュージックの作法を巧みに取り入れているところにあります(All Tomorrow's Partiesにも出演)。
このポピュラーミュージックの取り入れ方については、以下の曲を聞いてもらえればす ぐに納得できると思います。これは、あのヴィヴァルディの『四季』を編曲ではなくて"再構築"した作品の『Spring 1』(春 第一楽章)です。
Recomposed by Max Richter - Vivaldi - The Four Seasons, 1. Spring (Official Video)
クラシック音楽を、ポップ/ダンス・ミュージックを聴いている人の快感原則にも寄り添う感じに"リミックス"しています。
昔、小学校の登校時間にかかっていたヴィヴァルディの春のメロディの反復に、ひそかにサイケデリックな感覚と中毒性を見出していた人は多いかと思いますが、そんな楽曲を脱構築して、21世紀の我々の多くにとって親しみやすい音楽に変換しています。
現代音楽の第一人者と言うだけでなく、クラシック音楽にミニマル、エレクトロニクス、ダンス・ミュージックの要素を取り入れて、誰が聴いても耳に心地よく、誰もが好きになれる反則気味にキャッチーな、エレクトロ=アコースティック・ミュージックをたくさん創造しているポップ・ミュージシャンと言ってもよいように思います。
そんなわけで、同氏の曲の中でもとりわけ心の琴線をビンビンに鳴らしてくる一曲である"On the Nature of Daylight"が、いま話題のSF映画『メッセージ』で使われたこともあり、普段意識的に音楽を聴かないひとにこそ聴いてほしい、聞き流して欲しい、生活空間に彩りと潤いと微笑みを与えるおすすめのアルバムを、以下に5枚紹介します。
1.MEMORYHOUSE
2002年発表のデビューアルバム(Late Junction / 2009年にFatCat Recordsよりジャケット・デザインを変更して再発。上記は再発ジャケット)
「デビューアルバムにそのアーティストのすべてがある」とは、よく言われたり言われなかったりしますが、少なくともここに収めれれた90年代後半、リヒター氏が30代後半の時期に書かれたという楽曲群にはそれが完全にあてはまります。
ピアノ、ストリングスだけでなく、エレクトロニクスやサンプリング等を駆使して、極度にノスタルジックな、美しいけれどもどこか閉じたような、それでいて個人的記憶に絡みつく、霧の漂うシナプスの森のような世界感を構築しています。
その世界に濃縮されたポエジーにはちょっと目眩がするというか、途中で正直くどい感じもありますが、それでもやはり素晴らしい。
だいたいジャケットが走る電車の窓から見える電線という時点で、もうナボコフ的なんであって、夜、ちょっとメランコリックな気分のとき、もしくは過去の記憶に浸ってメランコリックな気分になりたいときに最適です。
2.SONGS FROM BEFORE
2006年発表のサード・アルバム(Fat Cat / 2016年にDeutsche Grammophon よりジャケット・デザインも変更されて再発)。
映画『メッセージ』で使われた曲を含むアルバム『The Blue Notebooks』に続いて発表されたもので、村上春樹氏のなんかの文章のロバート・ワイアット氏による朗読がフィーチャーされています。
これはあくまで個人的な感想ですが、前作がちょっとエレクトロニクスやサンプリングボイスの使い方にダサいところがあったりして、アルバム全体としてはあまり何度も通して聴かなかったのに比べ、今作は、アルバム全体の音の雰囲気に統一感があります。
メロディは相変わらずウェットもウェットですが、それほどくどくなく、より洗練されてきた感もあり、通しで長く聴ける一枚になっています。ちなみに、再発アナログ盤にはダウンロード・カードが付いています(最近は当たり前?)。
3.RECOMPOSED BY MAX RICHTER VIVALDI - THE FOUR SEASONS
誰もが知るクラシック音楽の名曲、ヴィヴァルディの『四季』を再構築した2012年の作品(Deutsche Grammophon )。
以下のメイキングビデオにおいて「四季の楽譜から好きな部分を取り上げ、そこから新しい要素を作っていくことは、素晴らしい原石から彫刻作品を仕上げるようだった」と振り返るリヒター氏は、「再構築の過程で、原作の音符(ノート)の4分の3は捨てたけれども、それらの振舞(ジェスチャー)と形態(シェイプ)と肌理(テクスチャ)と迫力(ダイナミクス)は維持した」と語っています。
つまり「16〜17世紀におけるミニマムミュージック的な側面を持つ」ヴィヴァルディの作品のエッセンスを取り出して、実に快楽主義的なアプローチで再構築を行っています。ミニマル音楽というか、現代のエレクトロニカやポストロックに近い肌触りがあります。
なお、春、夏、秋、冬の後には、「Shadow 1〜5」が収録されています。こちらは(多分)四季の楽譜をより細かく分解して、並べて反復させたフェーズ・ミュージックで、聴けばわかりますが、とてもライヒです。
背景に常に聞こえる鳥の鳴き声が、春夏秋冬の異なる光が生み出す、影のイメージを脳裏に浮かび上がらせてくれます。
ちなみに本アルバムにおける「春」は、ひとによって異なる、人生で最も美しい"朝"の光景が眼前に浮かび、涙を誘うものです。人生の節目を彩る音楽として、卒業式や結婚式などで使ってみるのはいかがでしょうか?
4.SLEEP / 8時間に及ぶ眠りのための超大作!
2015年9月にデジタルダウンロードで先行発売され、同年12月にCD8枚+Blu-ray1枚セットで発売された、収録時間がなんと8時間24分21秒もある大作です。
全部で31曲収録されています。短いものは数分、10〜15分程度の曲が多く、長いもので30分以上あります。
睡眠の神経科学とか、難しいことは抜きにして、ただひたすら8時間、静かでゆったりとした、心地よいメロディとループが延々と続くアンビエント寄りの作品。室内楽だけでなく、コンピュータだけで作ったと思しきウィリアム・バシンスキーみたいなメランコリックで退廃的な印象の曲もあります(19曲目"Chorale/glow"など最高です)。
眠りのための音楽というだけあって、聴いていて途中で起きてしまうような、急に音が大きくなるような展開は一切ありません。ただ、結構低音が響くので、サブウーファーがある場合、そのボリュームは下げ気味にしておいたほうが良いと思います。
▼アルバム・トレーラー
Max Richter - Sleep (Album Trailer)
これを聴きながら眠りに落ちるのか、眠ってからタイマーでオンにして聴くのか、最初から最後まで聴き終わってから眠りに落ちるのか、はたまた、寝室でこれを流したまま眠っているところをビデオに撮って後でそれを聴くのか、楽しみ方はひとそれぞれです。
ジャケットが月だからでしょうか。部屋の灯りを消して聴いていると、宇宙空間に放り出されて遊泳しているような、もしくはスペースコロニーの部屋の窓から宇宙の景色を見ているような感覚も楽しめます・・・はい、「これこそまさにSpace age bachelor pad music(宇宙時代の独身男の音楽)!」と言いたかっただけです。
いや、実際、ひとりで引きこもる休日など、このアルバムの音楽を部屋に満たしておくと、日頃の忙しさ、世の喧騒を忘れて、リラックスした幸せな気持ちになれます。
しかしそれは単純なヒーリングミュージックというのでは決してなくて、電車の中でイヤホンでこれを聴いていると、普段気にもかけない車内のありふれた光景が、スローモーションになって、自分という存在がここにないような感覚を覚え、なぜか突如視界が靄がかかったようになる、という具合に、精神に対して強力に作用するアートと言えます。
ここに挙げた作品の中では、私はこれを最もリピートしていると思います。
8時間もあるということで、一見すると変わり種アルバムのように思われるかもしれませんが、マックス・リヒターを最初に1枚聴くならこれを最もおすすめします。
5.THREE WORLDS: MUSIC FROM WOOLF WORKS
2017年1月発表の最新作(2017年現在)。
『Woolf Works』というバレェのために作曲した曲をまとめたアルバム。"Three worlds"とは、ヴァージニア・ウルフの3つの作品『ダロウェイ夫人』『オーランドー』『波』からインスパイアされた世界感を指します。
ヴァージニア・ウルフによる朗読にも注目ですが、このアルバムの白眉は、まずは最もキャッチーな『In the Garden』でしょう。
Max Richter - Mrs Dalloway, In the Garden
ダロウェイ夫人の冒頭の美しいシーンを見事に連想させてくれます(20年近く前に読んだ本なので正直ほとんど覚えていなかったので再読)。この曲のイメージ喚起力はマックス・リヒターの曲の中でも突出しているように思います。
また、途中5〜15曲目の『オーランドー』の世界を描いたものの中には、まさにオーランドーらしく、やや浮いた感じになってしまうエレクトロな曲もありますが、最後16曲目の『波』をテーマにした20分を超えるドラマティックな『The Waves: Tuesday』が、このアルバムを新たな傑作足らしめています。
ちなみに私は『波』だけ読んだことがなかったので、本日シンガポールのジュロン・イーストのWest Gate内にある紀伊国屋で『The Waves』のペーパーバックを買いました。が、英語が難しすぎて多分半分も理解できそうにありません・・・。
▼本記事で紹介したオススメ5作品

RECOMPOSED BY MAX RICHTER: VIVALDI FOUR SEASONS
- アーティスト: A. Vivaldi
- 出版社/メーカー: Deutsche Grammophon
- 発売日: 2014/04/29
- メディア: CD
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▼8時間のオリジナル・バージョン
▼1時間のダイジェスト版と思いきやアルバム収録曲の変奏曲を収録

3つの世界:ウルフ・ワークス(ヴァージニア・ウルフ作品集)より
- アーティスト: マックス・リヒター,リヒター(マックス)
- 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック
- 発売日: 2017/03/29
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