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遂に完結! 記憶の喪失をテーマとした音楽6部作『The Caretaker / Everywhere at the End of Time: Stage 6』

2016年9月から始まった、ジェイムス・リーランド・カービィ(James Leyland Kerby)氏による、痴呆症/アルツハイマー病をテーマとした音楽プロジェクト、The Caretakerの『Everywhere at the End of Time』の最終作となる第6部(Stage 6)がこのほどリリースされ、完結を迎えました。

第4部が出たときに以下の記事を書いていました。

第5部が出たときにはなにも書いていませんでしたが、同部では記憶喪失と錯乱症状が更に進んだかのような、第4部で辛うじて残っていたメロディの断片がさらに細切れになり、記憶を失ったことさえ忘れてしまったかのような、聴いていて辛くなるような、割とシリアスなノイズ作品でした。


The Caretaker - Everywhere At The End Of Time - Stage 5 (FULL ALBUM)

 

最終作(第6部)は2019年3月14日にリリース

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最終作となる第6部でどういうオチになるのか非常に興味があり、リリース日の3月14日のGMT 17時(シンガポールでは深夜)、速攻でダウンロードしました(Bandcampでシリーズ通しで購入済みだったもの)。

アナログ(LP)盤だと2枚組で、20分程の曲が4曲です。

重苦しい1曲目をベッドの上で聴き始め、すぐさま寝落ちしました。

あかんやん、というわけでこの週末、調子に乗ってウィスキーなんて飲みながら、ゆっくり聴いてみました。

※以下は音楽的内容に関してネタバレを含みますのでご注意ください。

最終章の幕切れは

1~3曲目は、壮絶な第5部からの続きという趣きで、シュレッダーにかけられた譜面の紙くずをぐちゃぐちゃに丸めて、固めて、ボールにして、積み上げたりなんかしつつも、最後に全部ローラーで圧延していくような、容赦ない鬱な展開が持続・継続します。

しかし最終曲(アナログではD面)では、そんな譜面の紙くずの塊が、どんどん無限に薄く平らに圧延されていくに連れ、いつのまにか真っ暗だったあたりが明るさを増して行き、真っ白な空間になって、最後は引き伸ばされた紙くずの成れの果てであるごま塩模様の白い床から、黒くて細いひとつの音符が、ぴろりんちょと起き上がり、ふわっと浮かぶや天に登って消え去っていくというような、安易な連想を一応は許容してくれる、リスナー的には救い(?)のある、わかりやすいエンディングを迎えてくれました(良かった。聴くまでは、雑音が前触れなく突然途切れて無音の中に放ったらかしにされたらどうしようかと恐怖していた)。

具体的には、15分くらい延々と続くパイプ・オルガンっぽいドローンが「ブチッ!」と途切れてドキッとさせられた後、ピアノ伴奏付きの、歌声が割れて言語が不明瞭な、壊れた機械が歌うレクイエムのような、物悲しい歌唱で終わるというものです。


The Caretaker - Everywhere At The End Of Time - Stage 6 (FULL ALBUM)

様々な音楽スタイルを取り入れつつ首尾一貫した大作

全6部で構成されたそれぞれのステージは、記憶が徐々に失われていくことへの自覚から、恐怖と意識の混濁の先の完全な混乱まで、実際の痴呆症の段階的進行を辿っているそうですが、収録された音の世界はというと、以下のように変容していきます。

第1部:20世紀前半のダンスホール音楽のメロディの万華鏡的桃源郷

第2部:レコードのスクラッチノイズが増え始める。

第3部:メロディは残るも時にノイズが全面を覆い始める。

第4部:メロディは消失しつつぎりぎりエレクトロニカ風味を保つ。

第5部:もはやハーシュノイズと言ってよい騒音がメイン。

第6部:インダストリアルノイズからドローン、そして鎮魂歌。

本作品は、古いレコードのサンプリングによる、自分が生きたことのない過去への郷愁感を誘発する、流し聴きして心地よい音楽というだけにとどまっていません。

サンプリングからホワイトノイズ、ゼロ年代風のエレクトロニカ、ハーシュノイズ、ドローンまで、全体的なトーンはダークながらも多彩な音楽スタイルを駆使しながら、記憶を失っていくことの焦燥感から絶望、絶望の中の希望、混迷、錯乱、喪失したと気づかない喪失、虚無、解放までを、プロジェクト全体で音楽的に表現しきったカーヴィ氏の力量は称賛に値します。

これを聴くほとんどのリスナーは今のところ、痴呆症に陥っていないとは思いますが、それがいつ訪れるかわからない、自分の力ではどうしようもない事への恐怖と、人によって異なるとりあえずの諦観への道筋を想起させることは、アートの役割のひとつと言えましょう。そしてそれはもちろん、実際の病気に何の役にも立ちません。

マイナー音楽だが全力でおすすめできる

マイナー音楽であり、残念ながら現代の日本やシンガポールでは、体験される機会が少ないことは事実ですが、そうであるがゆえに、本ブログでは全力でおすすめいたします。

Bandcampで、ダウンロード版全6部を、たった5ポンド(約750円)で、一度に購入することができます(SpotifyにもiTunes Storeにもありません)。

▼Bandcampのデジタル・アルバム購入ページはこちら
https://thecaretaker.bandcamp.com/album/everywhere-at-the-end-of-time

そしてこのほど、後半にあたる第4~6部をまとめたCD4枚組も発売されました。

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私はオンライン音楽ショップ「Boomkat」で速攻で注文しました。

▼BoomkatのCD購入ページはこちら
https://boomkat.com/products/everywhere-at-the-end-of-time-stages-4-6

BoomkatはいつもRoyal Mailで発送するので、配達までたまに1ヶ月くらいかかることが玉に瑕ですが、公式にはBoomkatでの販売のみのようです(ですが多分いずれAmazon.co.jpにも入荷すると思います)。

なお、前半の第1~3部をまとめた3枚組CDは現在、Amazonでも買えますので、ぜひとも注文してこの世界観に浸ってみてください。

普段こういう音楽を聴かない方は、「ノイズ」というと拒否感を示されるかもしれませんが、以下の第1~3部は、往年のボール・ルーム(ダンス・ホール)ジャズのノスタルジックなメロディが、眼前に白昼夢の世界を投影するかのようにふわふわと垂れ流され、一風変わったオシャレ感のあるBGM的にも聴くことができます(Stage 3はややノイズ量多めですが)。

オフィスにカフェに一家に一枚の、聴かなければもったいない傑作です。

Everywhere at the End of Time Stage 3

Everywhere at the End of Time Stage 3

 

ジャケットに使われる画家イヴァン・シール氏の作品も素晴らしい

私が結局アナログ盤の購入を見送ってCDを選んだ理由は、金銭的事情もさることながら、CDの紙折りケースが豪華で、シリーズのジャケットを飾るイヴァン・シール(Ivan Seal)氏の素晴らしい絵画作品をたくさん楽しむことができるからです(オモテだけでなく、中ジャケにも絵画がプリントされている)。

ただ、第4部だけレコード版を持っていますが、イヴァン・シール氏の絵画が大きく見られるジャケットは、そのまま額に入れて飾りたくなるほど魅力的であり、やっぱり通常のブラック・ヴァイナルでいいから、全6枚コレクションしようか悩み中であります。

ちなみに、イヴァン・シール氏のWEBサイトは以下で、作品のいくつかを見ることができます。

Ivan Seal | Paintings

グロテスクながらも、見えない手で胃壁の厚みをぐにっとされたように目が離せなくなる不思議な魅力に溢れた油絵です。現物見たい。欲しい。でも高そう。

完結を祝して本編未収録の17曲がダウンロード公開中!

さらにこのほど、シリーズの完結を祝し、制作の過程で各アルバム収録からは漏れた作品17曲を集めたアルバム『Everywhere, an emty bliss』が、ダウンロードのみでBandcampに公開されています。

価格は0ポンドからで、好きな金額で購入することができます(寄付スタイル)。

▼Bandcampの期間限定ダウンロード・ページ

https://thecaretaker.bandcamp.com/album/everywhere-an-empty-bliss

公開期間は、2019年6月16日までとのこと。

これがまた素晴らしいです。

音像的には、第3部と第4部の中間からやや前半寄りといいますか、メロデイのはっきりした曲とドローンっぽいのが、6:4くらいで混ざったものとなっています。

最終曲のタイトルが「And bliss everywhere bliss」というのがまた心憎い演出です。

最後に、たぶんカーヴィ氏自らによる作品紹介文の一文を引用して終わります。この一文から、本作のテーマは、実は特定の病理に関わるものではなく、失われた過去の記憶の輝きそのものであって、「痴呆症」は誰しも衰えて死んでいく人間の比喩として対比されているに過ぎないのかもしれません。

May the ballroom remain eternal.

 

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